2021年の夢日記


2021/02/11

のび太が死んだあと1000年も生きて、これからもまだ生き続ける機械であるドラえもん。彼は、のび太と暮らしていたように様々な人間と暮らしてきた。そうやって暮らす中でも、やはりのび太との生活は特別に良かったらしい。ドラえもんはのび太のような人と巡り合うのを密かに胸の内で待ち望んでいた。しかし、何千年、何万年待てば会えるのだろうか?無限の年月を待つことができたとして、同じ人間が生成されうるだろうか?


2021/02/11

様々な動物が群れをなして暮らしていた。私も何か偶蹄目か奇蹄目の一種であった。雪が草木を覆う毛布のように積もっていた。しかし木の幹の周辺だけは土が露出しており、そこに生えた草や土にいる虫が私たちの食糧だった。

私ともう一匹で食糧を探し求めるために歩いていた。一面の真っ白な雪に、ところどころ他の動物が落としていった黒くて丸い耳垢が落ちており、これは、すでにそこの付近の食糧は食べ尽くされたという徴でもあった。あちらの方へ行ってみようかと思ったとき、親切な鹿が「あちらの方に行けば、まだ食糧があると思います。」と教えてくれた。

しかし、鹿が教えてくれた先には何も食糧がないところだった。一方、鹿たちの群れは新しい餌場でみな黙々と食べていた。


2021/04/16

私は夏の暑い日に団扇で仰いでいた。その団扇は竹でできており、プラスチックの骨とは違って、鈍い凹凸があった。そして私は、ツルツルすぎるのは善いことではなく、有機的な凹凸が必要なのだと悟った。ひっくり返った昆虫が、平たいコンクリートの上では起き上がれなくなるように、世の中がどんどん整った平たいツルツルになっていってしまうと、それはまるで分解者のいない綺麗になってしまった腐葉土のようになる、という夢であった。


2021/04/28

白八木郎矢という『技と宗教』というのを書いている人を知人から教えてもらう夢を見た。出版されて世界的にも翻訳されたベストセラーだったらしかった。


2021/04/29

塔はヒップホップ文化の系譜らしかった。塔というのはヒップホップの先見性として建てられていたらしかった。という謎の夢。塔は思うより軽く、ヒップホップは思うより荘厳らしいのだ。


2021/04/30

「本当にひどい宿なんです。僕は今、訴訟しようと思って通ってるんですよ」 私は彼にこの民宿のひどさを見せてもらうために連れて来られたらしかった。この民宿の部屋のひとつひとつに昔ながらの昭和っぽい台所と畳の居間と狭い風呂がついていた。部屋の風呂以外にも一階には温泉があり、食事のための大広間があった。 たしかにひどい部屋だった。掃除はもう何年もされていないようで、台所の食器棚には宿泊客が置いていったのであろうインスタントコーヒーの瓶があり、その中には指先ほどの深さの真っ黒に沈んだ粉とともに、瓶の半分ほどの嵩まで水が溜まっていた。台所のシンクは水が流れず、ワカメがたくさん漂っていた。私はここに居るのがゾッとしてきたのだった。 風呂場は小さく狭かった。濡れた床に足を置くと、ぬめりなんてないのにぬめりが足につく妄想がどんどん肥大していってしまって、足のつま先をぎゅっと丸めた。 「だから僕はこうやって証拠を集めているんです」 そう言う彼の表情はなんだか活き活きとしていた。 すると、部屋のドアが勝手に開いて、おばあさんがなにか喧嘩腰に彼に話しかけていた。私にはよくきこえなかったが、彼らの話し方はおおよそ宿の女将と客の会話とは思えない喋り方で、さながら親子喧嘩のようだった。

私は目が覚めると、もう朝だった。 朝は朝食を食べた後、10時にはチェックアウトしなければならない。私は、玄関とカウンターと食事のための大広間が一体になった一階へ足を運んだ。 大広間には、畳の床が一段少し床が高くなっていて、古びた定食屋のように小さなブラウン管のテレビが天井付近に設置されていた。 「今日チェックアウトなんですが」 私がそう言うと、チェックアウトの準備をすすめるとともに朝食を案内してくれた。 この旅館の不潔感からして食事をとるのは気が引けたが、朝食は意外にも美味しそうな見た目だった。 大広間には、想像に反して若者が多くいた。私は朝食の後に温泉に入ろうと思って、浴場を下見しようと思った。すると向かう途中の縁側にも若者がたむろしていた。そこには私を連れてきた男も駄弁っていた。 「ほんと、この宿最悪だったでしょ?」彼は私に気づいて話しかけてきた。 「俺、奢るから」 「この宿いくらなんですか?」 「一泊、二万円」 その値段の高さに私は驚いたが、彼が平然とその値段を言うのと、仲間たちと楽しそうに歓談するのをみて、私は驚いていないふりをした。 彼はまだしばらく連泊するようだった。 宿をあとにすると、あまり親しくなかった同じサークルだった後輩の大学生たちがバイクでこの宿にきていた。 どうやらこの宿は若者に人気らしかった。


2021/05/27

今日の夢は、ある作家と恋人になる夢だった。その恋人とは小さな喫茶店に来ていた。その喫茶店には、本がたくさんあった。しかし、それらの本は埃だらけで出版されてからかなり年月が経っていそうなものばかりだった。埃だけならまだよかったのだが、蜘蛛の巣や湿気が不潔な感じを強くしていた。私は本を選ぼうとするが、流行りだったらしい当時の武術の本ばかり並んでいてどれも手に取る気分にはなれない。しかし、店主のおばあさんは面白そうな小説を読んでいた…。

私は恋人に「どの本が面白いと思う」と訊いた。彼は「蒙緑地」というベルベットのような短い毛足の、ふさふさした<インク>で印字された本を私に渡した。ほんのページをなぞると、文字がふさふさとした凹凸になっており、初めての感触に少し心が躍った。その本の書き方は、├──こんな風に分岐しており、これもまた初めての体験だった。
                                                                                                                                
                                                                 ├──今までにない書き方であり、「ああたしかにこういう書き方もあるな」と思った。
                                                                 ├──変わっていたけれど中身は普通のエッセイだった。


2021/06/16

宙に浮かんだ凍ったクリオネをコンクリートに落として割ってしまった夢。


2021/06/29

ドクター人身売買の夢。


2021/07/27

私にはショートカットで細身の彼女がいた。彼女は私を強く束縛してきた。 私が四角いケースに入った砂糖を持っていると、彼女は「砂糖が好きだなんて淫乱な女だね。」と言った。たしかに砂糖は甘いだけで身体に善いでもないのに、その甘さをほしいままに貪るなんて淫らなことかもしれない、と思った。


2021/09/02

劇の舞台でで誰かがピアノを弾いた。坂本龍一の曲だった。この場面には、あの曲がピッタリなんじゃないかと思っていたら、その曲がまさに演奏されて高揚した。しかし、その音は私だけが認識できたようだった。彼はたしかにピアノを弾いていたのに、その音は私以外には聴こえていなかった。彼が鍵盤を叩くと、私の頭には確かに聴こえた。しかし、彼は鍵盤を叩いているのに、その音を聴く人は私しかいなかった。だからみんなに、辻褄が合うように「直接私の頭にあのピアノの音が聞こえてくるの」と言った。ピアノからみんなと共有する空気を媒介せずに直接私の脳を振動させるようなイメージで。そして自分の言った言葉に「ああ、幻聴ってこのことなんだ」と気付かされた。あんなにいい演奏なのに、自分にしか聞こえなかったことが悲しかった。


2021/11/12

韮司(かさきし)という職があった。戸籍がないために差別的な扱いを受けている人々がいて、韮司もまたそのうちの人々だった。韮司はその集団において、その被差別民のなかの産婆なのだった。しかし、韮司も助産の技術が一般の産婆よりも低く、また彼らの医療体制も整っていないために、その被差別民の出産が失敗に終わることも少なくなかった。また、生きながらえても、その子供の戸籍もまた無かったので、土地も家もなく、どこに所属することもできないので、幸せとは言えなかった。


2021/11/18

 なんだかいつもと様子が違かった。大きなベッドが2台ある暗い寝室で、男と私と、もう一人の同い歳くらいの女がいた。私達はこの部屋で長い時間カーテンも締め切ったまま、電気もつけず同じ部屋にいたので、時間感覚がなくなっていた。実際には、今は夜だった。しかし、外からの光で、部屋の中は夕方くらいの薄ぼけた明るさは保っていた。「今は夜なの?」と私が聞くと、「今は夜だよ。でもこんなに明るいのはおかしいけどね」と男は言った。カーテンの縁から漏れでる昏い光が天井にぼんやりとした陰影をつくっていた。

 私達はなにか焦燥感にかられて森に向かった。森の様子も何がとは言えないのだが何かがおかしかった。すると、男が動物のフンをみつけた。男は野生動物に詳しいらしく、どの動物のものか分かるらしかった。さらに、普通とは形状が変わっており、動物たちの間でもなにかが変わっているのはたしかなことからしかった。すると、オレンジ色と水色と黒の極彩色で彩られたクリオネが群れをなして上空を飛んでいるのを私達は見た。そして、そのクリオネの群れから外れた一匹が、木の根本の付近まで降りてきた。どのような原理かまったくわからない仕方で浮遊していて、水中を泳ぐ魚とはまるで比較にならないくらいに滑らかに、宙に留まったり進んだりしていた。私は一瞬、その光景を携帯電話で撮影したい衝動が駆られたが、神秘は神秘のままであらねばならないと直感して、携帯電話を取り出す手を止めた。私達はしばらくそのクリオネを眺めた。男からしても、クリオネが出てくるのはおかしいことだったようだ。彼が言うには、クリオネからの何らかのメッセージらしい。

 違和感を抱いたあの後からも相変わらずなにかがおかしい気がしていたが、それでも依然として日常は日常としてあった。私が乗りたかった路面電車が、ちょうど少し先の停留所を、私が走ってもギリギリ間に合わない速さで通過してゆく。路面電車はゆっくりとした速さで進んでいくので、また次の停留所まで走れば間に合いそうだった。私は次の停留所まで走っていったが、またギリギリ間に合わなかった。その次の停留所までまた走って、今度はようやく路面電車に乗ることができた。車内はとても広くゆったりとした造りになっていて、何両編成にもなっていた。座席のシートは旅客機のようなレイアウトになっていて、たくさんの座席があった。しかし、見渡す限りではどこも人で埋まっていて、私は空いている席に座るために、車両の奥へ奥へと歩いていった。次の車両の扉を開けると、皇族の方々とその付き人たちが車内に座っていた。そして、私がどこにも座るところがないのを見かねると皇族の一人が「こちらがあいておりますよ」と、私を彼らの席の隣に案内した。畏れ多さに戸惑いつつも「ありがとうございます」と言ってそこに座った。私の隣に座っていたその子女の方と意外にも話が弾んだ。彼女が私と年齢の近かったことや、私の旧友と似ていて懐かしい気持ちになったのもあったからだった。すると、今夜開かれるパーティに招かれることになった。これは後で知ったことだが、私と彼女が仲良くなるのも全て計られたものらしかった。私は、彼女がそういう全てを作りこまれた日常に対して辟易しているというのを、彼女の感じからわかっていた。なので、私は周囲からの頼まれごとを拒否するという形で、なんとかその予定調和を壊して、彼女と心で通いたく思っていた。

 ディナーの円卓に私も座った。この会場は大きな窓から外を展望できるようになっていた。ショーが始まると、窓の外に国が保有している戦闘機が次々とアクロバット飛行をしながら、何機もやってきて着陸した。着陸した戦闘機は綺麗にラッピングされ、磨かれ、そこに描かれた国旗も美しく、空間一体が高揚感に包まれた。私の近くには大使館の人々や、とある兵器の開発計画に携わっていた人も座っており、皆そのショーに興じていた。ある外交官がその計画者に、ふと思い立ったように話しかけた。「あなたの名前はX、、そう、XXX XXXですね。」 と言うとその計画者は動揺し「Oh… I’m sorry… I’m sorry… 」とただ申し訳なさそうに謝るのを繰り返していた。どうやら彼はなにか自責の念があるらしく、自分が名指されると、ただ謝っていた。

 私は、このショーで沢山の飛行機を見ることでかえって、段々に国の保有する戦闘機が少なすぎるのではないかと感じるようになってきた。もし有事の事態になった場合にまるで足りないではないか、外部からの資源供給が途絶えた場合、作れるのはあと何機なんだろう、それを保管する倉庫も足りないのではないか、という考えが次々に浮かんできた。「そうだね、戦闘機は何機あってもいい。あればあるほどにいい。」と老年の男が話かけてきた。私は鉄の板は単に鉄の板ではなく、丸めて翼をつけて操縦者がいれば即ち戦闘力になり、ただ飛行機はとても燃料を消費するのでいかに燃料を賄うかが問題なのであって、そうなった場合、地上で燃料を消費してしまうのは戦闘機に使われるべき燃料を無駄遣いするのと同じであって、地上で必要なエネルギーは原発なりなんなりを使えばいいんだ、と思った。

薄気味悪い夢だった。


2021/11/22

“「神にも神の生活があった。神は神の生活として命を召し上がる。川で召し上がっていた命が、橋が作られたことで、少なくなってしまったのなら、神はその橋を落とし命を召し上がるもので、神がそのように命召し上がることは人々にとってもそれはやむをえないことだった。また、世界中に残っている寓話の多くは、そういった『神の召し上がる命と召し上がられる命のお話のバリエーションだ』」というのを、ネットで見た。私はその説を見て、たしかに、グリム童話も、ごんぎつねも(?)、日本の昔話も、童謡もそうだな、と納得した。本来、隔たりを超えるのは罪であり神に抗うことでもあったらしい。そのためにそのような神に対する犯罪である橋や船を神が落とし、その命を召し上がるのは理に適ったことだった。また人々が、橋を作る時に人柱をささげるのは、自覚した冒涜への償いの気持ちからだった。ただ神は命と同じくらいにお酒をお好むので、人々はお酒で代替するようになった。進水式には、お酒をかけるのはそういうことだったらしかった。

 薄緑色のまっくろくろすけも、お酒を捧げられると喜んでいた。

 借りたものは返さなければならない。

 「写真を撮られると魂を抜かれる」と考えたのは、そういった神や自然に対して敬虔で思慮深い人たちだった。写真はあまりにも隔たりを超えるので、業深きことであり、自分の命を神に奪われても仕方ないこととして考えたことからだった。

 また私は雷が怖くなかったので雷の音を怖がる気持ちがわからなかったのだが、落雷の音で怖がる子供は、雷の音に神の怒号を聞いているからなのだと知った。

 ただ神は沈黙している。不在か無関心か。”

そんな夢だった。早朝4時くらいに目が覚めた。自分の命も奪われるのではと怖くて、またそういうものが忘れられてしまった悲しさもあって、しばらく寝られなかった。本当は誰かに電話したかったけど、電話の超える隔たりの大きさがあまりにも恐ろしくて、携帯電話には触れなかった。寝る前に「寓話が神の召し上がる命と召し上がられる命のお話のバリエーションだ」なんて文章を見たからあんな夢を見たんだ、と思ったけど、そんな文章は寝る前に見ておらず、やはりそれも夢だったのだ。そういうことに気が付き始めて、だんだん夢と現実の区別がついてきてまた寝た。


2021/11/23

 私の泊まっているビジネスホテルで火災があった。幸い、私のフロアには火の気配はない。みんな廊下に飛び出し、出口に向かって階段を蠢いていく。

 一階に着くと、やっと落ち着くことができた。存外、被害は無くみんな無事に避難できたらしかった。店員はこんな事態でも働かなければならないようで、売店はいつも通り営業していた。荷物は部屋に置いてきてしまったし、これからどうなるかわからないので、何着かの服とタオルと、シャンプーを買うことにした。すると私の少し歳上の女の人が「本当にそれを買うの?」と私に言ってきた。他にも、買わなければいけないものがあるとか、あるいは現金を手元に残しておかなきゃいけないとか言っていた。また去り際、昔の私に似ているとか、でも言ったところでわからないものね、少ししたらわかるだろうけど、と吐き捨てた。私は彼女の言ったことがよくわからなかった。レジに並ぶと化粧水があったので悩んだがそれも追加で買った。とりあえず、食料なんかは支給されるだろうと思っていた。

 皆はぞろぞろと外をどこかに向かって歩いていた。外は晴れており、大きな街路樹と芝の萌える緑が綺麗だった。私も、そちらに向かえばなにか支援があるかもしれないと思い、さっき売店で買ったものを持ってみんなと同じ方向へと歩くことにした。しばらく歩いている内に私は道ゆく人と何故か口論になった。なぜ口論になったかは覚えていないのだが、何かがおかしいと思って私は道を引き返すことにした。みんなが向かうのとは逆の方向に歩いていると、パチンと音がした。石が私に投げられているのだった。私とは逆の方向に歩いている人たちが私に石を投げてくる。パチン、パチンと音が鳴り、たまに当たると少しだけ痛かった。私は一人の人に石を投げられているのではなく、誰かとすれ違う度に石を投げられていた。でも拘泥するように投げてくる人はおらず、通り過ぎたら無関心なようだった。石を投げられるのは、こんなにも悪意を感じて惨めで、またそんな自分を他の人に見られて恥ずかしいのかと知った。私はとにかく走って元のホテルに戻った。すると、さっきの女の人や何人かの人々がロビーのソファーに座っていた。「だから言ったでしょう、私とあなた似てるって。それに買った意味もなかったでしょう?」とその女は言った。私はその女に言われて、さっき買ったものは口論したときに置いてきてしまったことに気がついた。火災もどうやら実は計画されたことだったらしかった。ロビーにいる人々は何か疲れたような諦めたような虚しい表情をして、焦燥していた。


2021/12/5

「猫の鼻の真似して〜。」と私が彼に言う。

「っつん。」と、彼は、手の指先を、動物の黒い鼻の先に変え、私の手の甲をその鼻先でつつく。

「いや、これじゃ、乾燥しすぎだし、暖かすぎるから犬の鼻だよ。」と私が指摘するとたしかにそうだ、と彼が言う。

「猫の鼻はこう。」と私が見本に、指の先を猫の鼻にして、彼の手の甲に当てる。

「本当だ、冷たい。」

「猫の鼻は湿ってて、冷たくて小さいんだから。」と私は言った。


自己疎外あざらし 2021/12/21

水族館にいたあざらしたちが、実は就活していたことがわかった夢。

地面の上に置かれた私の肩ほどの高さのプールの中にあざらしがいて、かわいいね、と犬を愛でるようにあざらしを撫でていたら、実はあざらしは今転職活動をしているという。 私はてっきり、水族館にいるあざらしたちはそこにいるだけでいい存在だと思っていたので、驚いてしまった。

あざらしは、本来いるだけでよかったのに、就活をすることで偽装された主体性をもたせられ、働けるということが喜びであるという風にすり替えられていたのだ。作られた主体性の悲しさを感じた。