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夢中夢

夢中夢

投稿: 2014-03-16


「本日は最後の開館日になります。どうぞ作品達を愛でていって下さい。」

 美術館の受付人が私達二人にそう言った。 もう一人は顔もはっきりしない誰だか分からない人物だったが寡黙な男だった。あぁ、ここは夢の中なのだ、と謎の男の存在によって私はそれに気がついた。私達は特に何の計画もなくこの美術館に立ち寄っていた。しかし案内人が云ったように、この美術館にとって今日というこの日は、最後の開館日という特別な日だったのだ。

 入館したのは陽も既に傾きはじめた頃だった。そのためか人はほとんど居なかった。私達は常設展のある画廊に向かうことにした。人の居ない画廊を斜陽が照らし、寂しさのなかにどこか言いようの無い高揚感があった。

 足を進めるごとに油絵や画材のにおいは強くなって、それは外界との距離を離していった。不思議なことに、夢の中でも匂いを感じることができた。 広くがらんとした画廊には、暖色系の照明がほのかに灯っており静かな空間が存在していた。—昔からずっとここに在って、そしてこれからもずっとここに存在し続ける、時間の軸を奪ったような空間が。

 壁にはどこかでみたことがあるような無いような作品がたくさんあった。画の下の方にある、金色のプレートに書かれた作品名と作者名は私の知らないものだった。よく見てみるとその画のタッチは独特で、いや、何が変わっているかは表現できないけれど、初見なのに一目で彼のものだとわかるものだった。今、ここで見ている館内からのぞく外の景色も彼の眼を通して見たらこの画の様に映るのだろうか。私が普段見ているあの風景ですらさえも、いつものつまらない光景が、きれいじゃない映像が、彼のフィルタを通してみたら何か特別な、意味有りげな、神聖なものに見えるのだろうか・・・。

 彼の個性は私の頭の中で勝手に描写を始め、彼が描いた事の無い画はずの画でさえも容易に導出する。彼にとって彼の受容しうる世界すべてを説明する言語、それが画だったに違いない。数学者のフレンケルと彼との違いは、それがフレンケルならば公理系、彼は画を採択しただけの違いでしか無い。自分の受容した世界を、過不足無く説明できる系を見つける。数学者だけではない、文学者、哲学者、物理学者の各々が、人間という受容器を通して観測した事象から、この空間を再現できる体系を表現しようとしている。    けれども今日は最後の開館日。体系を保存したこの静かな空間は、美術館は、閉館となる。もう誰に見られることもなくなるのだろう。

 いつの間にかあの男も居なくなっている。私は少しだけ、油絵を描きたくなった。